太陽と月の話
じりじりと焦がす太陽が、今日も私の上で笑っている。
「ケルちゃんみっけ!」
まどろみの中にあった意識を、彼女が一気に現実へと引き戻す。彼女の良く通る高い声は、広い広い石の部屋に良く響いた。目を開くと、彼女の海のような目とかち合う。私のそれよりもずっと大きい目には、いつも太陽のような模様が広がっていて、その中に私が反射するのが好きだ。
「おーい、寝ぼけてるのかい、スケルツォーネくん」
「…えぇ、はい、起きていますよ、アレクサンドラ」
わざとらしく私の名を呼ぶアレクサンドラに、こちらも対抗してわざとらしく彼女を呼んだ。そうすれば彼女はその頬を膨らませて怒るのを知っている。彼女は、名前をありのまま呼ばれることが嫌いだった。だから私はいつも彼女をこう呼ばなくてはならない。
「ごめんなさい、アリー。意地悪をしました」
「むぅ、まあ、あたしもケルちゃんのこと、ケルちゃんて呼ばなかったから、お相子にしてあげよう!」
「それは有り難い。優しい子ですね、アリーは」
「もー、だから子ども扱いはやめてってば。あたしは君よりも年上だってこと、忘れてるんじゃないかなあ」
ふん、と腕を組んでそっぽを向くあたりが子供らしいのに、という言葉は飲み込む。彼女よりも私は年下であることは事実だ。だが、細かく言ってしまえば、たかだか数年の差である。悠久の時を生きる我々にとって、数年という数字は意味をほとんど持たない。そもそも、時間という枠で我々の関係を捉えること自体が、あまり意味がないのだ。しかしこれも口にすると彼女はさらに拗ねてしまうから、いつも心の奥底にしまっている。
「君はいつもここにいるよね。なんでだったっけ」
「過ごしやすいんですよ、ここは」
どこかの誰かが私たちを崇め奉るためにつくった遺跡。今は風化でところどころが崩れ落ち、私たちの何倍もの高さにある天井からは太陽が顔をのぞかせている。廃墟といって相違ないこの場所が、私は好きだった。寝転んで頬を床につけると、ひやりとしていて落ち着くのだ。この空間にはただ、光と風の音とが広がっているだけ。その静寂が、私にはとても心地良い。
依然として寝転んだままの私の隣に彼女は座り込むと、何かを思い出したようにくくく、と少女らしく笑った。
「さっきね、町のこどもたちとサッカーをして遊んだんだよ! ヤシの実をボールの代用にしようとして登ったらそれがナッシーでね、怒らせちゃって大変だったけど」
彼女はいつも、人間のこどもたちと交流してはその話を私に聞かせる。彼女はどこまでも優しい。人間と、ポケモン。その隔たりを感じさせないために、人間の姿をとって彼らに交わりに行くのだ。もともとひとの体を得た時から褐色だったその肌は、連日のこどもたちとの交流でさらに焼けている。私のものとは正反対の、生きていることがよくわかる肌。もともと長かったその白髪は今は首元程の長さに落ち着き、彼女の天真爛漫さを表すように跳ねている。私とは正反対の、その髪型。もともとドレスだったその服は、今は動きやすいようにと、こどもたちと同じような短い裾のスカートに落ち着き、さらけ出された健康的な足には生傷が絶えない。ああ、何もかも、私とは正反対の、能動的な彼女。
「そう。…楽しかったですか、アリー」
「うん、とっても! ケルちゃんも来ればいいのに。そんなにこどもが嫌いなのかい?」
彼女の無垢な質問は、私の息を一瞬止めることなど容易いものだった。思わずにじみでてしまいそうだった言葉を必死で腹の底へと押し込む。どうしたの、と私の顔をのぞき込む彼女に適当は返事を返して――私は起き上がり、彼女の大きな帽子を引き下げて彼女の顔を隠した。慌てる彼女に薄く笑みを零す。ああしかし、今の顔は彼女には決して見せたくない。私だけは変わらないままでいなくてはならない。
――私は人間そのものが嫌いなのだ。
――彼女から何もかもを奪い、変えてしまった、人間が嫌いなのだ。
そうとは言えずに、私は今日も、彼女のために言葉を飲み込み続ける。もう二度と、彼女から何も奪わせないために、奪わないために、その私の胸を焦がす太陽をなくなさないために。
今日も私の上で、彼女は笑っている。
「ケルちゃんみっけ!」
まどろみの中にあった意識を、彼女が一気に現実へと引き戻す。彼女の良く通る高い声は、広い広い石の部屋に良く響いた。目を開くと、彼女の海のような目とかち合う。私のそれよりもずっと大きい目には、いつも太陽のような模様が広がっていて、その中に私が反射するのが好きだ。
「おーい、寝ぼけてるのかい、スケルツォーネくん」
「…えぇ、はい、起きていますよ、アレクサンドラ」
わざとらしく私の名を呼ぶアレクサンドラに、こちらも対抗してわざとらしく彼女を呼んだ。そうすれば彼女はその頬を膨らませて怒るのを知っている。彼女は、名前をありのまま呼ばれることが嫌いだった。だから私はいつも彼女をこう呼ばなくてはならない。
「ごめんなさい、アリー。意地悪をしました」
「むぅ、まあ、あたしもケルちゃんのこと、ケルちゃんて呼ばなかったから、お相子にしてあげよう!」
「それは有り難い。優しい子ですね、アリーは」
「もー、だから子ども扱いはやめてってば。あたしは君よりも年上だってこと、忘れてるんじゃないかなあ」
ふん、と腕を組んでそっぽを向くあたりが子供らしいのに、という言葉は飲み込む。彼女よりも私は年下であることは事実だ。だが、細かく言ってしまえば、たかだか数年の差である。悠久の時を生きる我々にとって、数年という数字は意味をほとんど持たない。そもそも、時間という枠で我々の関係を捉えること自体が、あまり意味がないのだ。しかしこれも口にすると彼女はさらに拗ねてしまうから、いつも心の奥底にしまっている。
「君はいつもここにいるよね。なんでだったっけ」
「過ごしやすいんですよ、ここは」
どこかの誰かが私たちを崇め奉るためにつくった遺跡。今は風化でところどころが崩れ落ち、私たちの何倍もの高さにある天井からは太陽が顔をのぞかせている。廃墟といって相違ないこの場所が、私は好きだった。寝転んで頬を床につけると、ひやりとしていて落ち着くのだ。この空間にはただ、光と風の音とが広がっているだけ。その静寂が、私にはとても心地良い。
依然として寝転んだままの私の隣に彼女は座り込むと、何かを思い出したようにくくく、と少女らしく笑った。
「さっきね、町のこどもたちとサッカーをして遊んだんだよ! ヤシの実をボールの代用にしようとして登ったらそれがナッシーでね、怒らせちゃって大変だったけど」
彼女はいつも、人間のこどもたちと交流してはその話を私に聞かせる。彼女はどこまでも優しい。人間と、ポケモン。その隔たりを感じさせないために、人間の姿をとって彼らに交わりに行くのだ。もともとひとの体を得た時から褐色だったその肌は、連日のこどもたちとの交流でさらに焼けている。私のものとは正反対の、生きていることがよくわかる肌。もともと長かったその白髪は今は首元程の長さに落ち着き、彼女の天真爛漫さを表すように跳ねている。私とは正反対の、その髪型。もともとドレスだったその服は、今は動きやすいようにと、こどもたちと同じような短い裾のスカートに落ち着き、さらけ出された健康的な足には生傷が絶えない。ああ、何もかも、私とは正反対の、能動的な彼女。
「そう。…楽しかったですか、アリー」
「うん、とっても! ケルちゃんも来ればいいのに。そんなにこどもが嫌いなのかい?」
彼女の無垢な質問は、私の息を一瞬止めることなど容易いものだった。思わずにじみでてしまいそうだった言葉を必死で腹の底へと押し込む。どうしたの、と私の顔をのぞき込む彼女に適当は返事を返して――私は起き上がり、彼女の大きな帽子を引き下げて彼女の顔を隠した。慌てる彼女に薄く笑みを零す。ああしかし、今の顔は彼女には決して見せたくない。私だけは変わらないままでいなくてはならない。
――私は人間そのものが嫌いなのだ。
――彼女から何もかもを奪い、変えてしまった、人間が嫌いなのだ。
そうとは言えずに、私は今日も、彼女のために言葉を飲み込み続ける。もう二度と、彼女から何も奪わせないために、奪わないために、その私の胸を焦がす太陽をなくなさないために。
今日も私の上で、彼女は笑っている。